モンテネグロ・コトル島へ
ユーゴスラビア崩壊後に7つにわかれた国の一つがモンテネグロ。
イタリア語で「黒い山
主人がしきりに、「乾杯~モンテネグロ~
私にはそのメロディが分かりません。
またモンテカルロだそうです(1978年の歌らしい)。
山崎世紀さんの紫根染訪問着(銀座・きもの白)
振りが赤く
半幅帯を風船太鼓に
紫×ブルーの帯締め、虹色スカーフを帯揚げ代わりに(新田美智子)、
髪はセルフ夜会巻き
朝から盛り盛りエナジーチャージ
コトル湾はアドリア海が陸地に入り込み、複雑なリアス式海岸になっているため、
テンダーボートに乗り換えて上陸します。
「OKサー?OKマダム?」スタッフが手をひいてくれます。Thank you~
旅行中仲良くして下さったツアーの方ともパチリ
複雑な海岸線と険しい山々が続き、ローマ時代から天然の要塞が点在します。
と走って追いかけてこられました。「Of course!
ツアーの方も、「着物を見たとたん、すごい勢いでやってきたよ。すごい人気だね。」
着物を喜んでもらえてよかったです
ヴェネツィア共和国により築城されたものだそうな。
(ありがとうございます
この一帯は地震の多く、1667年・1979年の地震により多大な被害を受けました。
その後ユネスコなどの協力で復元され、
現在は自然と旧市街一帯がユネスコ文化遺産に登録されています。
中世時代に拷問の塔があった跡地に建てられた塔。
懺悔の時に、ここでお祈り
逆にお祈り
町の人達にバレバレだったそうな。
中央広場(別名オルジェ(武器)広場)で、地元のガイドさんの説明を聞きながら、
英語ペラペラの日本人ガイドさんが通訳をしてくれます
大地震で倒壊後、そのままの材料を利用して再建されたそうな。
中はどうなってるの~~??
ロマネスク様式建築で、1166年古い教会の土台の上に建てられました。
大地震により損害を受けましたが、現在は補修されています。
コトルはカトリックとギリシャ正教会の文化圏が重なっていますが、
両者共存しているそうです。
祭壇の石製の天蓋、多くのイコン(聖画)が飾ってあります。
ちょうどシスターさんがオルガンを弾き始めました
大地震後の補修時に、昔のフレスコ画が発見されたそうです。
皆んな天使
ふと見ると足もとに子猫が
もともとは、1732年建造の旧グレゴリナ宮殿だったのが博物館になりました。
コトル湾の地図は、まるでねずみ
入り江を航路から
様々な国の文化がはるばるやってきたんだね。ロマンを感じます
ここから自由行動の時間です。せっかくなので、城壁を少し登ってみよう
記事を改めます。それではまた~